Note

No.133

#掌篇 #D #涼啓



 ぎゅっ、と。音が聞こえそうなほどきつくきつく結ばれた唇が、酸素を求めて薄くひらかれるのを見た。同時に、目のふちからこぼれ落ちた大粒の涙が、夕日を照り返した一瞬のきらめきも。夕日の茜色が頬にななめに差していた。
 啓介の泣き顔を見るのはずい分ひさしぶりな気がして、涼介はかけるべき言葉を見失う。いつのまにか聳えていた高い壁は、啓介の姿を容赦なく覆い、十代のこころでは処理しきれないあらゆる感情をかれに抱えこませた。その腕を掴むことはできたはず、だのに、かれの頑なさが兄を全力で拒んだから、涼介も一定の距離を保つことを選んだ。それが結果、正しい判断であったのかはわからないけれど、今、泣く弟を前にして立ち竦むしかできないじぶんには、おそらくなにを施しても無駄だった――そんな徒労感を涼介に味わせた。
 胸が締めつけられて、ひどく、とてもひどく、痛んだ。かすかに眉を顰めると、啓介はますますつらそうな表情になって、
「ごめん」
 喉の奥から声を振り絞った。鼻を啜って、手の甲で横柄に目もとを拭う。くそっ、くそっ、と悪態をつきながら、あふれて止まらない涙をどうにか体内に押し留めようとしているようすが、涼介にはかわいそうに見えた。
 腕を伸ばして、じぶんよりわずかに薄い肩に触れてみる。啓介の体がにわかに強張って、しかし、抵抗はなかった。涼介の力に身を任せるようにして、腕の中に体を沈めてゆく。泣いたせいで上がった体温を感じて、それは子どもの頃の啓介の甘い体温を思い出させた。
 ごめん、と、啓介は涼介の肩に顔を押しつけて、言った。――アニキを傷つけた。ごめん。弟の、金色に染まった髪の毛に手を入れる。傷んだ髪を指のひらで撫で、大丈夫、と涼介は言った。
「オレはおまえの味方だから」

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(弟は兄を傷つけて、兄もまた弟を傷つけていた日々のこと)

(啓介がむかし(ぐれてた頃)、兄を傷つけたっておもってぽろぽろ泣いちゃうの、ただの妄想なんですけど、まるで見てきたかのように妄想できてしまう。ほんとうに、ぜんぜん妄想なんですけど‥。)

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