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No.3
落乱
雨の檻(土井先生と利吉さん)
ぱたぱたと雨が降っていた。萌え始めた緑に落ちる雨粒を聴くのは、日中の騒がしさで疲れた心にまで浸みていく。半助は年度末試験の採点をしながら、背中に感じる体温に時折耳を澄ます。
朱色でバツ印を付けていくのは相変わらず胃の痛い作業だったが、一人じゃない宿直はその痛みすら緩和する。
「少し落ち着いたかい? 利吉君」
文机に視線を落としたまま背中を合わせている人物に声を掛ける。利吉は所々雨に濡れた軽衫の足を抱えた状態で、すみません、と呟いた。半助が首を捩ると、彼の白いうなじが見えた。
「別に謝る必要はないよ」
薄く笑うと、今度は長いあいだ俯いていた利吉が顔を半助に向けた。
利吉が突然に学園の半助と伝蔵の部屋へ訪れたのは、生徒達を寝かせて数刻経った真夜中だった。
伝蔵への使いにしては時間が遅すぎるし、荷物もなにも持っていない彼を見て半助はすぐになにかがあったと察した。利吉は自分の事を、こと仕事については自ら話さない。表情にはいつも余裕があって、隙のなさを感じさせる。いかにも“忍び”らしい忍びだ。その彼が、今夜は何処かおかしかった。
「先生」
利吉は部屋に招かれると笠を取り、口にした。彼らしくない弱々しい発声だった。
「少しだけ、背中を貸してください」
どうして、とは半助は訊ねなかった。訊いたところで自分になにができるわけではない事に、半助自身も知っていた。無駄に長く生きていると、そういう無駄な知恵が知らぬ間に蓄えられてしまうらしい。半助は心のうちでだけ吐息をついて、いいよ、と笑った。彼に向って笑いかける事だけが、自分にできる唯一の事のように思えた。
「おっ、すごいな」
筆を置いて軽く首を鳴らす。
「なにがですか」利吉は半助の視線の先にある試験用紙に目をやった。
大きな字で答えが書かれている反故紙の名前の欄には、福富しんべヱとあった。
「前回より二点も上がってる。乱太郎は三点、きり丸は五点だ。三人とも今回はさすがに勉強したんだろうなあ」
は組の問題児の点数はそれぞれ十点足らずのものだったが、試験用紙を眺める半助の顔は満足気だ。
「……土井先生は、ほんとうによい教師ですね」
利吉は口角を少し持ち上げてみせた。
「そうかな」
「ええ、少なくとも私にはそうみえます」
忍びにも、自分の腕だけを頼りに喰っている人間、知識と経験を生かし、半助のように教師として後任を育てる人間などと様々いる。そのなかで利吉にとって半助は、尊敬に値する人間の一人だった。
今まで“尊敬”できた人物など両親を除いてほかにいなかった。仕事で逢ってきた忍び仲間にも、心を開く事はできなかった。利己的で傲慢な人間達――それが“忍び”の生きる道として、けっして間違ってはいない事は知っていても――が半助をどれだけ軽蔑しても、自分は彼の味方でいられる自信があった。
「先生は生徒達と、とても強い信頼関係を築いておられる」
利吉の声が雨が土に浸みていくように、ぽたぽたと床に落ちる。
「は組は幸せ者ですね」
「羨ましいかい?」
「――え?」
それまで文机に頬杖を着いていた半助がにわかに言葉を発し、利吉は目をまるくさせて横目で半助を見やった。
癖の多い髪の毛に隠されて表情を窺う事は叶わなかったが、彼が穏やかに笑っているのは気配でわかった。
「……羨ましい、とは?」
意味を図りかねて小首を傾げてみせると、振り返った半助と視線がカチリと合った。黒く、まるい瞳に灯台の明かりがちろちろと波打っている。
「利吉君が思うほど、私は善い人間ではないよ」
半助は利吉から目を離さず、微かに眉尻を下げた。利吉が何処で忍術を学んだか、今までどうやって忍びとしてやってきたか、自分は知らない。利吉から訊く事もなかったし、今後訊くつもりもなかった。それは忍びの掟を破る行為だ。自分の感傷に彼を振り回してはいけない。
「私はね、利吉君」
身体をやや利吉に向けて、半助は静かに口を開く。
「誰かに背中を貸す事くらいしかできない人間なんだ。生徒と向き合っていても、常にそれを感じている。忍びだというのにね」
乾燥した唇が震え、はは、と笑い声が洩れる。
雨は止む気配をみせず、むしろ夜じゅうを雨音で抱いてしまっているかのようだった。
でも、と、半助の低い声が戸板を叩く雨音に絡む。
「私は案外、それを気に入ってるんだよなあ」
冷えた空気が充ちる部屋では、半助の背中だけが妙に温かく感じられた。
言葉を切って採点に戻ってしまった半助の背中に、利吉も自分の背中をくっつけた。脈打つ心臓が肌を伝う。
「人間くさい人間なんですね、先生は」
ぽそりと呟くと、半助の背中が僅かに揺れ、
「忍びには向いていない人間なんだろうな、私は」
それからはひたすら筆を反故紙に走らせる音と、雨音だけが部屋を包んだ。
利吉は次第に冴えてくる頭で、生まれて初めて誰かを羨ましいと思ってしまった自分に気づいた。忍術を学んでいるあいだも、仕事を持つようになってからも、羨む気持ちなど終ぞ持たずに今まで生きて来られたのに。今、背中を合わせている人物に対して自分は、心底“羨ましい”と思っている。半助に忍術を教わっているは組ではなく、半助本人に対して――。
「眠ってもいいよ」
半助の声が耳朶を滑った。その言葉が櫂となって、利吉はやがて浅い海に舟を漕ぎ始めた。
(11.0327)
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2025.1.5
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ぱたぱたと雨が降っていた。萌え始めた緑に落ちる雨粒を聴くのは、日中の騒がしさで疲れた心にまで浸みていく。半助は年度末試験の採点をしながら、背中に感じる体温に時折耳を澄ます。
朱色でバツ印を付けていくのは相変わらず胃の痛い作業だったが、一人じゃない宿直はその痛みすら緩和する。
「少し落ち着いたかい? 利吉君」
文机に視線を落としたまま背中を合わせている人物に声を掛ける。利吉は所々雨に濡れた軽衫の足を抱えた状態で、すみません、と呟いた。半助が首を捩ると、彼の白いうなじが見えた。
「別に謝る必要はないよ」
薄く笑うと、今度は長いあいだ俯いていた利吉が顔を半助に向けた。
利吉が突然に学園の半助と伝蔵の部屋へ訪れたのは、生徒達を寝かせて数刻経った真夜中だった。
伝蔵への使いにしては時間が遅すぎるし、荷物もなにも持っていない彼を見て半助はすぐになにかがあったと察した。利吉は自分の事を、こと仕事については自ら話さない。表情にはいつも余裕があって、隙のなさを感じさせる。いかにも“忍び”らしい忍びだ。その彼が、今夜は何処かおかしかった。
「先生」
利吉は部屋に招かれると笠を取り、口にした。彼らしくない弱々しい発声だった。
「少しだけ、背中を貸してください」
どうして、とは半助は訊ねなかった。訊いたところで自分になにができるわけではない事に、半助自身も知っていた。無駄に長く生きていると、そういう無駄な知恵が知らぬ間に蓄えられてしまうらしい。半助は心のうちでだけ吐息をついて、いいよ、と笑った。彼に向って笑いかける事だけが、自分にできる唯一の事のように思えた。
「おっ、すごいな」
筆を置いて軽く首を鳴らす。
「なにがですか」利吉は半助の視線の先にある試験用紙に目をやった。
大きな字で答えが書かれている反故紙の名前の欄には、福富しんべヱとあった。
「前回より二点も上がってる。乱太郎は三点、きり丸は五点だ。三人とも今回はさすがに勉強したんだろうなあ」
は組の問題児の点数はそれぞれ十点足らずのものだったが、試験用紙を眺める半助の顔は満足気だ。
「……土井先生は、ほんとうによい教師ですね」
利吉は口角を少し持ち上げてみせた。
「そうかな」
「ええ、少なくとも私にはそうみえます」
忍びにも、自分の腕だけを頼りに喰っている人間、知識と経験を生かし、半助のように教師として後任を育てる人間などと様々いる。そのなかで利吉にとって半助は、尊敬に値する人間の一人だった。
今まで“尊敬”できた人物など両親を除いてほかにいなかった。仕事で逢ってきた忍び仲間にも、心を開く事はできなかった。利己的で傲慢な人間達――それが“忍び”の生きる道として、けっして間違ってはいない事は知っていても――が半助をどれだけ軽蔑しても、自分は彼の味方でいられる自信があった。
「先生は生徒達と、とても強い信頼関係を築いておられる」
利吉の声が雨が土に浸みていくように、ぽたぽたと床に落ちる。
「は組は幸せ者ですね」
「羨ましいかい?」
「――え?」
それまで文机に頬杖を着いていた半助がにわかに言葉を発し、利吉は目をまるくさせて横目で半助を見やった。
癖の多い髪の毛に隠されて表情を窺う事は叶わなかったが、彼が穏やかに笑っているのは気配でわかった。
「……羨ましい、とは?」
意味を図りかねて小首を傾げてみせると、振り返った半助と視線がカチリと合った。黒く、まるい瞳に灯台の明かりがちろちろと波打っている。
「利吉君が思うほど、私は善い人間ではないよ」
半助は利吉から目を離さず、微かに眉尻を下げた。利吉が何処で忍術を学んだか、今までどうやって忍びとしてやってきたか、自分は知らない。利吉から訊く事もなかったし、今後訊くつもりもなかった。それは忍びの掟を破る行為だ。自分の感傷に彼を振り回してはいけない。
「私はね、利吉君」
身体をやや利吉に向けて、半助は静かに口を開く。
「誰かに背中を貸す事くらいしかできない人間なんだ。生徒と向き合っていても、常にそれを感じている。忍びだというのにね」
乾燥した唇が震え、はは、と笑い声が洩れる。
雨は止む気配をみせず、むしろ夜じゅうを雨音で抱いてしまっているかのようだった。
でも、と、半助の低い声が戸板を叩く雨音に絡む。
「私は案外、それを気に入ってるんだよなあ」
冷えた空気が充ちる部屋では、半助の背中だけが妙に温かく感じられた。
言葉を切って採点に戻ってしまった半助の背中に、利吉も自分の背中をくっつけた。脈打つ心臓が肌を伝う。
「人間くさい人間なんですね、先生は」
ぽそりと呟くと、半助の背中が僅かに揺れ、
「忍びには向いていない人間なんだろうな、私は」
それからはひたすら筆を反故紙に走らせる音と、雨音だけが部屋を包んだ。
利吉は次第に冴えてくる頭で、生まれて初めて誰かを羨ましいと思ってしまった自分に気づいた。忍術を学んでいるあいだも、仕事を持つようになってからも、羨む気持ちなど終ぞ持たずに今まで生きて来られたのに。今、背中を合わせている人物に対して自分は、心底“羨ましい”と思っている。半助に忍術を教わっているは組ではなく、半助本人に対して――。
「眠ってもいいよ」
半助の声が耳朶を滑った。その言葉が櫂となって、利吉はやがて浅い海に舟を漕ぎ始めた。
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