note

プライベッター+に利土井の短いお話をあげております。(R-15としているため、パスワードをもうけております)
海辺のしじま

利吉さんのはつ恋が土井先生‥って考えるとこう、すごく、すごいものがありますね。。土井先生が恋を教えたんだ‥。

#利土井

ちかぢか独自ドメインを取ってサイトのurl変更をする‥かも‥と思っています。
思い立ったのが1週間くらい前なのでそのときの勢いでえーいっとドメイン取ってもよかったのですけど、春にかけて私生活がちょっと動きそうなので、もろもろ落ちついてからのほうがいいのかな、とも思い。4月ころになるかもしれません。
別サイトとも統合したいなあ。複数あるとどうしてもかた一方に偏ってしまって、歯痒い思いをしてしまうので‥。わたしの感覚の問題ですが。

わざわざドメインやサーバーにお金をかけなくてもpixivとかあるじゃないとも思ったりするんですけど、やっぱりサイトという文化がすきだから、あると安心します。こうやってじぶんのタイミングで書きに来られるし、そういう場所がわたしには必要なんですよね。ずっと。
周りに流されやすいから、自分の軸を持つためにも静かな場所でもくもくと考えるってだいじ。




♡押してくださってありがとうございます。励みになっています、ほんとうに。

>>67

「俺たちは魚屋さんじゃないの段」で乱きりしんが第三協栄丸さんとこにお魚をもらいに行っていたのでふつうに徒歩圏内っぽいですね。(あとお隣のおばちゃんもいる)
そこから学園まで生魚を運ぶわけなので子どもの足でも半日くらい‥?(適当)

#落乱

土井先生が土井先生になる前(「土井半助」になる前)って本人の望まないまま奪う側にさせられて、自分でなにかを選び取ったり決めたりすることができるなんて思いもしなかったかもしれない。自分には人生を選ぶ権利はないと、こんな世に生まれてきたからしようがないのだと言い聞かせて、どっかで生きることそのものを諦めてた部分もあったかもしれない。そういうおとなたちしかいなかったし、そのころ歩いてた道以外をしらない。山田先生のところに身を寄せて、人生の選択肢が自分にもあるってわかった。自分で選んでいいんだ、決めていいんだな、って思えた。人としてあたりまえに尊重されるよろこびを知った。

「一緒に帰るの段」で、きり丸と一緒に帰るために仕事終わらすぞ!ってがんばる土井先生、これまでの人生にない経験をしているんだなあと思うと、なんだか、じいん、としちゃった。あなたはもう与える側の大人なんだね、と思った。きり丸にとっての土井先生の存在がとても大きいのと同じくらい、土井先生にとってもきり丸の存在って大きいんだね。

#落乱

♡ボタン押してくださってありがとうございます‥! ほんとうにとてもうれしいです。
華やかなエフェクトとか付けられるのでしょうけどいかんせん勉強不足で実装できていません‥。桜とか散らせられないかな‥ 調べてやってみます。

再録になってもなんでも、やっぱり利土井で本をつくりたいと思ったのでそれをことしの目標とします。体裁がととのったらなんらかのかたちで連れ出せたらいいですね。たのしみです。

プライベッター+にセンシティブな利土井を上げました。
※リンク先R-18です。18歳未満の方の閲覧はできません。

驚くほどもどかしくてあたたかな夜

#利土井

一つ前の記事でメッセージへのお返事をさせていただいております。♡押してくださった方もありがとうございます!



落乱に再燃したことで記憶がサルベージされており、なんだか書き散らかしたくなったのでこの場に甘えて書いちゃいます。たいそうなお話ではないです。でも病気のこととか書いているので、見たくないよ〜の方はお控えくださいね。



中学3年のころに双極性障害2型と診断されて20年くらい?経つのですけど、最初に落乱にハマったのがちょうどそのいちばんしんどい時期(15歳〜23歳ころ)で、だから今また落乱で楽しくなっているとあたりまえに当時のことを思いだします。フラッシュバックがあるとかトリガーになってるとかではなくて、そもそもその時期のことはほとんど記憶になくて(ほんとうにすっぽり抜け落ちてる。わたしの中に空白の数年間がある)、でも人生において大きな出来事、高校辞めたこととか大学辞めたこととか上京したのにどうしようもなくなり実家に強制送還されたこととかは断片的におぼえてる。
そんな中で落乱・忍たまがずっとすきで、2007年にサイトをつくってそこで繋がった友だちがいたこと、疎遠になった子もいるけど当時はその交流がほんとうに支えだった。そして何よりものを書くって楽しさを本格的に知ってしまったのがその時だったから、今こうしてまた落乱に戻ってきて創作活動をしてることにふしぎなご縁を感じます。

今年34歳になるんですけど、病気とはもう一生つきあっていくしかないのかな〜と思っていて、よくなったり悪くなったりをくり返しつつでもその振り幅は確実に小さくなっていて少しずつ働いたりもできるようになったり。仕事は、体調次第で短期間で辞めざるを得ないことも多くてそのたび凹むけど、でもなんとかなってるから、これからもなんとかなると思っています。昔に比べてずいぶん楽観的になった。

生きててよかったって今は思います。今年34歳って書いて自分でびっくりしたんですけど、えっ34歳になるの? よく生きてきたねぇって思う。そんでまた落乱に戻ってこられて楽しくてうれしい。
病気は治らないのだろうし慢性的に体調は悪いし体力なくてイベントに出るのも厳しいときあるし、人生の半分崩壊していて学歴もないし、でもすきなものに生きるエネルギーをもらって生きてるということをさいきんよく思う。ほんとうにそう思う。何もかも失ってもなんとかなるんだな、なんて。思ったりもしてる。

だからって今苦しい人も大丈夫だよがんばって生きよ!とかはぜったいに言えないし、言わないし、なにを選ぶかは自分にしかできないから他人が口を出せる問題ではない(と思う)。わたしは専門家でもないしなに言っても無責任になる。誰も誰かの人生の責任は取れない。お金とかで支援できるわけでもないしねぇ。
福祉の仕事をしてる(してた)ので余計に、そういうこと考えるととほうに暮れる。わたし自身が直接的に具体的になにかをできるとは思えないから。

けっきょくなにを書きたかったんだろう。でもここまで書いて1月からずーっとぐるぐる駆け巡ってた思考が落ちついてきた気がします。
読んでくださってありがとうございました。あなたのことがすきですよ。

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