「私は漫画描いてんねんけどぉ!」
「知ってます、さっき聞きました」
「二〇一九年に創作してる人間として、しかも恋愛コンテンツを作ってる者としてけっこう考えてんねん。『恋愛』っていう言葉を取り巻く空気を。『男らしさ』とか『女らしさ』っていうのがあるやん世の中には。そういうの大好きな人いっぱいおるやんか。そんで恋愛モノのドラマとかで、男女間のズレがロマンチックなものとして描かれたりするやんか。ほんまは全然ロマンチックなんかじゃないのに、ただ男と女の力のアンバランスさがそこにあるだけやのに。唐突な話に聞こえるかもしれんけど、だから私はBLを描いてるんかもしれへんって思うねん。同性間やとそのあたりがまだフラットやから。最終的にはふたりはふたりとして対等でいてくれるから。私は多分、対等な関係への飢えで創作をしてる。自分ではそう思ってる。でもな、これは『恋愛モノ』なんやって、そういうジャンルなんやって割り切ってるから描けてる部分もあるねんな。葛藤がある。葛藤なしではやっていかれへん」
――大前粟生著『きみだからさびしい』(文藝春秋)p.30
今読んでる本に、ハッとする部分があったので。
わたしのしている二次創作も“恋愛モノ”のジャンルに入るわけだけど、果たしてほんとうにそれでいいのかという葛藤はある。つねに。わかんないから、ずっと模索してる。恋愛イコール最大の幸福、とは限らないし、性愛が最終的なゴールとされがちな恋愛観には疑問はある。
しげの先生の描かれる絵がちょ〜すき、やさしい、かわいい。それなのにバトルシーンは妥協なくかっこうよくて。もう、なんなの? って思ってます。なんなの! たまらん!
拓海のこと考えると、自然と、おとなとこどものあわいにいる時間のはかなさについて思いを馳せちゃって、もうたまらなく苦しくてせつなくて愛おしくてならない。青春のかがやきだ。ほんとうにそうだ。まばたきしたら消えてしまうくらいの一瞬の時間なんだって。その時には永遠に思えていた時間。
拓海が、「自分のすることで人が喜んでくれるのが、なんかうれしかった」「意外とおれ、そういうの好きなんだな」って言ってるの、それが成長だよ。
#D
memo